酒顛童子(しゅてんどうじ)

大江山いく野の道に行(ゆき)かふ人の
財宝を掠(かすみ)とりて、
積(つみ)たくはふる事山のごとし。
輟耕録(てっこうろく:中国の怪談集。青空文庫を参照)に
いはゆる鬼贓(きぞう)の類なり。
むくつけき鬼の肘(かいな)を枕とし、
みめより女にしやく(酌)とらせ、
自ら大盃をかたぶけて楽(たのし)めり。
されどわらは髪に緋の袴きたるこそやさしき鬼の心なれ。
末世に及んで白衣(びゃくえ)の
化物出(ばけもの・いづる)と聖教(しょうぎょう)にも侍るをや。


丹波の大江山に住んでいたと伝える鬼神。
都へ出て金品や婦女子を略奪したという。

酒呑童子(しゅてんどうじ)は、
京都と丹波国の国境の大枝(老の坂)に住んでいたとされる
鬼の頭領(盗賊であったとも)である。
室町時代の物語を集めた『御伽草子』などによると、
酒呑童子の姿は、顔は薄赤く、髪は短くて乱れた赤毛、
背丈が6m以上で角が5本、目が15個もあったといわれる。

彼が本拠とした大江山では龍宮のような御殿に棲み、
数多くの鬼達を部下にしていたという。

酒呑童子は、茨木童子をはじめとする多くの鬼を従え、
大江山を拠点として、しばしば京都に出現し、
若い貴族の姫君を誘拐して側に仕えさせたり、
刀で切って生のまま喰ったりしたという。
あまりにも悪行を働くので帝の命により
摂津源氏の源頼光と
嵯峨源氏の渡辺綱を筆頭とする頼光四天王により討伐隊が結成され、
姫君の血の酒や人肉をともに食べ安心させた上、
酒盛りの最中に頼光が神より兜とともにもらった
「神便鬼毒酒」という酒を酒呑童子に飲ませて体が動かなくしたうえで
寝首を掻き成敗した。
しかし首を切られた後でも頼光の兜に噛み付いていたといわれている。


※更なる研究調査を要する
童子を名乗っているところに注意を要する。
仏教の護法童子、それに倣った使役人の名称としての童子。
八瀬童子。
様々な童子との関係を考慮する必要あり。